2009年2月18日水曜日

サッカーノート

今日は久しぶりにサッカーしてきた。

休み休みなれど、2時間も固い地面を走り回って、ひざもかかともなかなか気持ちよかった。


楽しくてしょうがなかったんだけど、シュートの外しすぎ。

メドルレンジからのシュートはゴールの遥か上空をゆっくり通り過ぎる。


疲労を言い訳にするのは簡単だけど、大好きな?分析をやってみよう。

要はサッカーノートてこと。

今思いついて、わくわくしてきた。懐かしい。


今日の反省と当分の課題

①準備
 ・周りをみておらず、視野がせまい
 ・次にどんなプレーをするのか考えてない。怠慢
 ・ぼーっとしてる
 プレッシャーが遅く、十分な時間が与えられているとも言えるけれども、いざ早い(といっても現役のころと比較すればぜんぜん遅いんだけど)プレッシャーを受けると、状況判断が遅れて何も意図せずにトラップをする。そして、それから考える。実際、往々にしてこれで十分事足りることが多いけれど、より高い次元でやろう、俺。
 特に自分がスピードに乗って走るまたはドリブルしているときに、視野の広さと判断力の欠如が顕著。
 やっぱ最初のワンタッチが肝。
 
②優先順位

 遊びのサッカーだから、「もちらんこっちの方が楽しいし欲求にかなう」なんていう判断基準もあるけれど、点を取ることを考えて、シュート→ドリブル(ゴールへ向かって)→パス の順位が妥当かな。基本に立ち返って。

③一対一ドリブル

 今日の一対一の中では、自分のスピードを殺して、その場でフェイントをかけて結局ボールを失うことがあった。スピードに乗った状態であれば相手の体制を崩せば簡単に抜き去ることができる。

④ゴールのイメージ

 10本近くのシュートが入らなかった原因はまずこれ。もちろん枠を狙うのは当たり前だけれども、キーパーの位置、タイミング、ボールの質、コースを十分にイメージしたかというとそうではなかった。要はテキトーで入れる気がない。だから、入る気もしないのは当然か。もっとゴール、一点にこだわってみよう。

⑤集中力

 特に長丁場であっただけに、集中力の低下は明らかだった。グランドのコンディションが悪いというのを前提とした上で、最後のボールの動きをしっかり捉えて、ボールを蹴ったかというと十分でない。限られた時間の中で、丁寧にボールを蹴る。めちゃくちゃ基本であって小学生でも分かってること。でも、俺はできてない。



と、今思い当たるところをさくっと書いてみた。ほんとなら図を書くのがいいんだけどな。


で、気づいたのは、

書き出すということは、思考するということ

これは、よく本で言ってることであるけれど、遊びに成り下がったサッカーについて書くだけで、あれだけ日々なんとなくやってることについても、頭の中で意識化される。


アウトプットと同時にインプットもしているとも言える。


話しても同じことだけど、後から見直すことができる点が一番の相違点かな。


日々なんとなく思考して、思索にふけるだけでなく、書き出すまたは誰かと話すこと。


自分は聞き手に回ることが多いけど、良質の聞き手の友達なり先輩がいることは大事だな。

相乗的に会話できれば、尚のこと良い。



気づいたらサッカーの話じゃなくなっちゃうところが、昔のような純粋さのなさの表れかな。


でも、サッカーやるのは大好きだ。

2009年2月16日月曜日

門出。 僕と菜根譚

昨日は千葉市で一番いいお店炭火焼Cuisine 菜根譚の岡田さんに自宅で僕の大学卒業を祝っていただいた。

19歳の時に半年ほど、大学に復学してから丸2年間お世話になり、先月の末日が最後の出勤でした。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

大学の椅子に座っているだけでは絶対に得られない、形にも成績にもならないような財産を僕は菜根譚でもらったような気がします。

今は分からなくても、それがのちのち意味をもってくればそれでいいなと。




19歳の当時を振り返ると、

「なんで俺がこんなとこで立ちんぼなんや、皿洗いなんかゆっくりでええわ」

そんなふうにぼやいてたことが懐かしい。


そして、お客さんにも笑顔で接客できない。


一方的に指示されるのが悔しくて反発してた。


それから、お客さんに説教されてカウンターで半泣きになったこともあった。

これは復学して戻ったときに分かったことだけど、そのお客さんは県会議員の方で、世襲ではなく、30そこそこで当選し、以降もずっとトップ当選をされてるそうで。

自分のやりたいことを追求していないこと、大学というぬるま湯に甘んじていること。丸裸にされた。

「それを実現するためには何が必要で、どうやってやるのか。それを考えて、行動していないようでは、子供が絵を描いてこんなふうになりたい~と言っているのと同じだ」

今でもその時の会話を容易に思い出すことができる。



本当に記憶に残っているのは、自分の中で葛藤や悔しさがぐるぐる回ってた時のこと。

平生でいられない居心地の悪さが記憶をよりいっそう強いものにするのかもしれない。



復学して、戻った自分には菜根譚の景色が違って見えた。

何かに人が接しているとき、そこから何を感じ取れるかは、受け手次第でまったく異なったものになる。


まったくその通りだった。


そして、2年の年月を経て、働くということはお金を稼ぐ手段である以上に、生きることそのもの。そういうことを身体で覚えたんだと思う。



仕事を通じて出会ったたくさんのお客さんに、僕は育ててもらった。

一つ一つの会話がちょっとずつ積み重なって、そこに関係性が築かれていく。

知らず知らずに、そこに築いた目には見えない宝物で僕は生きてる実感を少なからず感じていたんだと思う。


大学時代、何度もぶっ壊した自分というお城は今では過去の産物。

ようやくしっかりしてきた土台を大切にして、今後歩んでいきたいと思う。



最後に、岡田さんからのメッセージを。



これから5年の間にどれだけ失敗して怒られるかだよ。失敗するってことはチャレンジしてるっていうことだ。

純粋であること。それが自己の満足度も高めるんじゃないかな。




この言葉を忘れることなく。



これからの時代を担う一人として、自分を高めていきたい

ここに表明して終わりです。

謙虚に。驕ることなく。

2009年2月12日木曜日

2009年をいかんせん

2008年も終わって、2009年。

今は2月12日。

去年書いた年賀状は墨で。


一月の末には。山梨の山中湖でスワンボートに乗ってきた。


卒論も提出して、残すは卒業式のみ。


今の自分が置いてる状況としては、


①大学4年で卒業間近の2月12日

②卒業後、ゼネコンで施工管理の仕事をすること

③時間を何に使おうが自由

④23歳

⑤世の中のことをちっとも分かっちゃいない。

そんなところ。

結局、卒論を出したあとにやってんのは、ただひたすら本を読む事。あとは映画を見たり。こうして文章を書いたり。それが今の自分で、それがすべて。他は何もない。

このまま何も考えなければ、企業でサラリーマンとして、日々労働するんだろう。休みにはサッカーしたり遊んだり、いずれ結婚でもして、子供でもできて…てな具合に。それを幸せと呼ぶのかもしれない。


けど、まぁお前はほんまにそれでええんか。それだけのもんか。と、問う自分もいる。

どうせ生きるならなんか成し遂げたいと思う。でも、正直なところそれが何なのかまだ分かってない。一方で、誰もお前に期待してないから、気負ってもしょうがないっていう自分もいる。

先のことを考えて、憂い、今を疎かにするくらいなら考えなくていい。そう思う。今、信じれる事、こうだと思う事に時間を使えば、気づいたら、その「先」に来てるじゃんって。

過去でもなく未来でもなく、今に生きる。

結局、抽象的になるんよ、お前は。


歴史、政治、経済、宗教、哲学、文化…そんなものに漠然と興味があって、すべての思考の前提となるようなものに興味がある。ぜんぜん教養がすっかり抜け落ちているのを今までほったらかしてきた。漢字が読めないのもそう。どんな専門性を身につけたとしても、人として尊敬されるのはこういう金にもなんないようなことを身につけてる人だとも思う。

どっか旅行するでもなく、こういう深みをつけたいなとまぁほんまに思うわ。

じゃけん、そういうのに時間を使おう。今を。


仕事が始まって予想できるのは、

①時間が限られること
②寮生活で多くの人との共同生活
③仕事ができなくて、日々その勉強であること
④企業の一人として責任を負うこと
⑤ある一つの土地で、建物を建てる。それに関わること
⑥労働者であり、給料をもらうこと
⑦職人さん、上司、取引先、同僚等々多くの関係者がいること

とか。

そんななかで、ひたすら誰とも交じることなく、本と対峙できるのは、今だけ。大事に使おう。今を。


ゆうても、まだまだ23の若造だよ。考えて考えて考え抜いたあげく、崖から飛び降りる。これをあと何回できるだろうか。人生の中で。

土台。

思考の前提としての知識、教養。この部分がまだまだ弱すぎる。これだな〜考えようにも、疑問を持つにも、まずは物事を知らないといけない。知ることで知らないことを知る。

あ〜そんなもんだ、今のお前は。


「日々是好日」

じいちゃんが書いてくれた書。まずは、一日一日を大切に。

んじゃ、とりあえず、今日という日を大切にしよう。

2008年7月7日月曜日

夢を語るにおいて一番必要な肴

 久しぶりに電話で話した。この春に上京した友人と。

 たまたま東京タワーの話をしてくれて、なんとなく開いてみた。


 はじめて手に取ったのは休学する前。空に輝く星にまぎれたヒトデみたいな不安と不可解なエネルギーに満ちていた頃。

 過ぎ去った寒い冬を越えて、重い土を押しやって外に飛び出した新芽。今はそんな風に茶化すことができる。


 そして、また目を通し、心で感じてみる。

 本という名の鏡には、ほんまちっぽけな夢かどうかも分からない何かをみる自分が映ってて、少し励まされて進んだような気がして、足踏み。

 
 

  


孤独は、その人の感傷的な気持ちを酔わせ、漠然とした不安は、夢を語るにおいて一番必要な肴になる。

ひとりで孤独に苛まれながら、不安を携え生きていると時。実は何にも恐れてはいない時なのであり、心、強く生きている時なのである。

 
まだ、なにも始まってはいない。自分の人生の始めるべきなにか。そのなにかが始まらない苛立ち。動き出さない焦り。

しかし、その苦しみも、なにかが始まってしまった後で振り返ってみれば、それほどロマンチックなこともない。

本当の孤独はありきたりな社会の中にある。本物の不安は平凡な日常の片隅にある。

 
 
五月にある人は言った。

東京でも田舎町でも、どこでも一緒よ。結局は、誰と一緒におるのか、それが大切なことやけん。


リリー・フランキー  東京タワー





今、ロマンチックでもなんでもない。


けど、どーせ10年20年後、贅沢だったなと、今を振り返るんだと思う。


だから、今、存分に贅沢をする。

絵を描く。ただひたすらに。ぼやけてても少しずつ輪郭だけでもすこしずつ。







大切なことを忘れることなく。

2008年7月3日木曜日

千聞も十見も一肌にしかず


パキラ
Originally uploaded by suguru+_+


テーブルの上の風の便り


ユラユラと見えない風を可視化する、布と葉っぱ。


一見じゃ分からない。肌で感じないと分からない。

ちまたにはそんな見えない分かりにくいものが転がってる。
それを感じるか否かは自分しだい。


肌感覚を大切に。



ネットで見聞きが容易になったからこそ、

「千聞も十見も一肌にしかず」じゃんね。


ルルル~♪

パキラその4


パキラ
Originally uploaded by suguru+_+



また右から新しい葉っぱが♪

2008年7月2日水曜日

雑日記ゆえ御免を。

雑日記ゆえ御免。

我、夜にして公園にあり。

愛ってやっぱ大事やんな〜毒っぽくても、怒るやつでも、愛のあるやつは周りにいい影響を与えるねん。

あ〜思い出した。卒業アルバムで「愛のある男になれよ、大事にせんかったら俺が許さんけーの」って書いてくれたやつがいた。
さて、俺はなれてるんか、愛のある男に。

月明かりの夜が恋しい。雪が降り積もったときの月明かりが乱反射して輝く野山。今コテコテの街灯でほんとに明るい夜。

そか〜とにかくデザインとかコミュニケーションとかをやりたいのか。広告代理店に行きたいわけではなく。
今いるデザイナーとはメッセージが異なるんだよな〜と何しても同じよーな部分あり。


わっ花火をやらんとする三人組やん!
涼しい。冬の毛布みたいに肌に優しく触れる夜風。

アルコールが昼に痛めた筋肉細胞までひたひたと回る。

花火のババババババッ。自転車のカタカタカタ。
あっ、実は木の葉っぱたちはザァ〜じゃなくて、細かくパパパパッって言ってる。

お〜鈴虫だ♪ジリジリジリって聞こえた瞬間、向こうからじいさんがくる。ん〜こっちにくる。もう二間まで来とる。

じぃ「これ、なんね〜」

わし「いや、友達の荷物」

じぃ「おーい、ポリに捕まるぞ〜。…俺も混ぜてほしいな」

わし(えっ…)

じぃ「お前、いい男だな」

わし「あっありがとうございます」

じぃ「パクられるなよ」
わし「はーい」

ほんま首太いけんね〜このじぃちゃんは。

缶にナメクジついとるわ!

チャンチャン